社長ブログ

僕は新宿紀伊国屋書店のレジの前に立って随分昔に思っていたことを思い出しました。

小学校の頃、本好きだった僕は学校の図書室の本はあらかた読み、自転車で15分ほど行った田無という駅に近い「丸岡書店」に通うようになりました。丸岡さんという(多分)おばさんがいつもレジに座っている小さな本屋さんです。
学校の図書室の本は、やはり学校ですからある意味冒険心のない品ぞろえであるのに対して、街の本屋さんは小さいながらもいろんな種類の本があり(もちろん教育上良くない本も)、小学校の5年生の僕にはそれはそれは楽しかったのを覚えています。

毎日のように通い始めた僕は、母親から「本を買ってくるから」とおこずかいをもらって出かけたのですが(本を買う為のおこずかいを惜しまない大人の習性はよくわかっていました)、さすがに毎日となると母親も黙っていられません。「もっと字の小さい本を読みなさい」とか、今から考えれば笑っちゃうようなことを言い出していました。僕も少しは悪いなと思い始めて、できるだけ本は買わないで立ち読みをするようになったのですが、なにせ小さいお店です。たいていお客さんは僕だけでしたので、とても目立つのです。1時間も立ち読みをしていると、丸岡おばさんがハタキで本棚を掃除し始めます。そうすると僕も悪いなと思って帰っていった。ちょうどそんな頃、学校の休み時間に篠崎くんが僕になにやら話かけてきました。手にはA3サイズくらいの紙を持って。

「金丸。これ何かわかる?」
それは“天気図”でした。
緑色の日本地図が真ん中にあって、その周りは海でした。そこに綺麗な等高線が鉛筆で書かれたものです。
「すごいだろう」篠崎くんは得意げに言います。そして僕も素直にすごいと思いました。まるでピアノを弾ける女の子や、足の速い同級生に思うあこがれのような気持ちと一緒でした。
「これ自分で書いたの」「そうだよ。天気図の用紙は本屋で買ったんだけど、この等高線やらなにやらは僕が書いた。」そして篠崎くんは、ラジオには短波放送というのがあって、毎日朝と夕方に気圧の情報を流している。海に出ている漁師さんなんかは、それを聞きながら毎日天気図をかいていることなどを僕に話ました。
「僕にもかけるかな?」「書けるよ。金丸もやってみる?」
篠崎くんは天気図の用紙は小さな本屋さんには売っていないこと、この辺で売っているのは新宿の紀伊国屋であると教えてくれました。「じゃあ今週の日曜日に一緒に買いに行こう」こうして僕は初めて新宿の紀伊国屋に行ったのです。

新宿という街に行ったのも初めてだったと思います。ものすごい人で、どうしてみんなぶつからずに歩いているのか不思議に思いました。西武新宿駅で降り、新青梅街道を横切り、今の新宿アルタの前に出て左に曲がり200mほどいったところに紀伊国屋はありました。ビル全部が本屋さんであることにまず驚き、エスカレータがあることに二度驚きました。(エレベーターもあった)
いろんな売り場をエスカレータ越しに眺めながら4階まで行き、そこで篠崎くんと一緒に天気図を買いました。そのあとで1階づつ降りながら、いろんな本棚を見て回りました。そこは僕には夢のような場所でした。何しろそこには丸岡おばさんはいません。立ち読みを咎める人などどこにもいないのです。誰もが真剣に「立ち読み」をしている本屋さんそれが僕が初めて見た紀伊国屋だったのです。僕は翌日から短波放送を聞きながら悪戦苦闘して天気図を書くようになりましたが(このことがきっかけで中学では野球部の傍ら天文気象クラブにも所属しました)、その週末から紀伊国屋通いが始まりました。

毎月何回か紀伊国屋通いが始まってからしばらくして僕は中学に進学しました。中学では野球部に入ったので、朝から晩まで練習があり、土日にもあることがあったので、毎週というわけには行きませんでしたが、毎月一回は最低紀伊国屋に通っていました。僕もだんだんと大人になり、新宿にも慣れてきたので、紀伊国屋だけでなく、友達を誘って映画を見たり、伊勢丹に行ったり、時には喫茶店でコーヒーを飲んだりしました。そんな頃紀伊国屋のレジで順番を待っている時ふっと思ったのです。本屋で働いている人の服装や髪型がダサい。と。

女性の従業員でパーマをかけている人は皆無でした。メガネをかけている人はどう見ても新宿の平均より多いと思いました。ブラウスのボタンは一番上までかけています。そしてスカートはキュロットスカート。ベージュ色で膝上丈に紺のハイソックスならまだマシですが、紺色でひざ下10cm。そして、女性の半分くらいは肩にフケがついていました。

そんなカッコをしている店員さんばかりがいるってことは、本屋さんはみんなそうなんだ(ダサいカッコをするのが本屋さんの文化なんだ)そう思いました。そしてほかの本屋さんに行ってみても同じだったのです。(もちろん丸岡おばさんも)そう考えるとフケもキュロットスカートも気にならなくなりました。その後現在までずっと、本屋さんのレジに立つと、店員さんの肩を見るようになりました。フケがついているとほっとするのです。(決して好きだとか、素晴らしいだとか言っているわけではありませんが)それが僕が知っている本屋さんだからです。僕の人生を少しづつ支えつ続けてくれた本屋さんなのです。

最近はアマゾンで本を買うことも多くなり、残念ながら肩のフケを見ることが少なくなりました。そして書店でも相変わらずの制服ですが、フケはあまり見なくなりました。でも、もしかしたらそれが本が売れなくなった原因なのではないのか?真剣にそう思うことがあります。文化が変わるとき、それは従来当たり前だったことが少しづつ、その当事者にはわからないけれども消えていく。まるで結婚20年の夫婦がパートナーの好きなところを思い出せなくなるように。

不動産会社にもそんな変化が見て取れます。20年前なら新規で開業するお店は、社長の名前のついたなになに不動産でしたし、緑色のテントがついたお店にガラス窓。どこにもアットホームやマイソクの図面が貼ってあり、そしてその物件は既にない。お客さんだって突然尋ねるんですから仕方がありません。「今確認したんだけどその物件は終わっちゃったみたいだね。でもおんなじような物件がここにもあるんだけど」そう言いながら商談をはじめる。そんな姿が知らぬ間になくなっているのを感じます。書店の店員のフケと同じように、タバコ臭い車もなくなっているようです。それはいいことだよね。確かにそうです。でもいいにつけ、悪いにつけ、文化が変わるとき、同時に時代は変わり、新しいビジネスモデル、新しい価値観が芽生えてきているはずです。それを見つけられたものが新しい時代の主役となって行くのでしょう。


Posted by 金丸 : Comment(1) | 2012.7.23.