社長ブログ

終戦記念日

雑感あれこれ

 

仕事も煮詰まってきたし、子供達とどこかに行こうかと話していたら「靖国神社」が頭に浮かんできたので行って来ました。

 

靖国神社には毎年一回は行くのですが(東京では毎年花見で必ず一回行く人がたくさんいる)、今年は終戦記念日の前日ということもあり、たくさんの参拝者がいました。

 

靖国神社は江戸時代から明治にかけて、現在の日本を作るために殉職した軍人を奉るために作られた神社です。その後も国のためになくなった軍人を奉っているので、自ずと太平洋戦争で亡くなった軍人の方々が多く奉られています。

 

 

私は小さい頃父によく言われました。「本当の江戸っ子ってのは、3代続けて東京生まれじゃないと言っちゃいけないんだよ」

 

 

祖父は深川でミシンを使った縫製業を営んでいたが、関東大震災で工場が全部焼けてしまったこと。その後苦労して再建したところで太平洋戦争が始まったこと。東京大空襲の時、7歳だった父は、焼夷弾で真っ赤に燃えた町を祖母に手を引かれながら逃げ回ったこと。

 

 

「あの時、おばあちゃんは生まれ故郷の山梨まで歩いて逃げようとしていたんだ。焼夷弾で真っ赤に染まった町はそれこそ熱くて熱くて、誰もが隅田川を目指して逃げたんだけど、おばあちゃんは山梨に逃げようとしていたから、隅田川とは反対側に逃げた。つまり燃えてる方に逃げたんだが、それが良かった。隅田川に逃げた人はみんな死んじゃったんだよ。あの時の焼夷弾の熱はそれはすごいもので、みんなが飛び込んだ隅田川は焼夷弾の熱で沸騰したらしい」

 

 

「それから山梨で終戦を迎えて学校にも行ったんだけど、山梨にいるままじゃ子供が本当の江戸っ子にならないから、また東京に出てきたんだよ」

 

書いてて泣けてきました。。。

 

 

靖国神社には遊就館という展示館があります。

https://www.yasukuni.jp/~yusyukan/

 

ここに明治維新や戊辰戦争以来、日本の国作りのために亡くなった方々の遺影や手紙、遺書などがたくさん紹介されています。

 

私は右でも左でもありませんが、いろんなマスコミや、無責任な評論家を通して日本の歴史を考えるより、おじいちゃん、おばあちゃん。そしてたくさんの先輩たちが、何を考え、何のために死んでいったか。せめて一度は自分の目で確かめ、感じるべきではないでしょうか?

 

 


2 thoughts on “終戦記念日

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  • 吉田です より:

    終戦記念日。
    いつも亡き父を思い出します。生きていれば94歳です。晩年よく歩兵団として出征した支那事変のことを聞かされました。広島宇品港より一万屯の鹿島丸(客船)でフロレス島を目指していた途中、東シナ沿岸で敵の魚雷攻撃で船体の胴腹に5発命中。鹿島丸は沈没。父は一発目で海中に投げ出されたそうです。、軍服は着用のまま、ズボンは海中に投げ出されたときに海中でなくなって袴下だけの有様だったようです。もう帰る事不可能と覚悟して泳いでいるうちに三尺四寸角材を見つけて、その上に足を出して天命を待っていたようです。その時に軍人の棒給として積んであった(軍票)五銭・拾銭・一円・五円札・拾円札、約5億円の札束が海中に一面に散らばっていて手の届く処を拾ってみれば5銭の札束、十銭の札束で空腹でどうしようもなく投げ捨て、哀れな自分生きて再び内地の土地を踏むこと出来ぬと覚悟してどうにでもなれと思ったようです。遠くから鹿島丸が沈んでいく様子を呆然と眺めて死を覚悟していた時偶然にも船団を組んでいたキャッチャーボートの救助船になんとか救助されたとのこと。その時に骨折していて一人では起きれず船員にかかえられるように船上の人になった時はホンと忘れることはできないとよく聞かされました。
    戦争、考えさせられます。
    長くなりすみませんでしたm(__)m

  • 金丸 より:

    すばらしいお話有難うございます。

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    Posted by 金丸 : Comment(2) | 2009.8.16.