久しぶりにお勧めの本を紹介します。
兵庫県浜坂出身で若いエンジニアだった加藤文太郎は、上司であった外山の影響を受けて登山を始め、地元の六甲山脈を一人歩き続けるうち、登山に魅せられていきます。
資金もなく、装備もない加藤は、暗中模索の中いくつかの経験をつみ、山にますますのめりこんでいきました。そんな彼が最終的にたどりついた目標がヒマラヤ登山。しかし彼の財力や経験ではとても挑戦することはできません。
そこで彼は冬山の経験をつむことと、日々の生活を極限まで質素にして、ヒマラヤ貯金を始めます。
毎日毎日、下宿の庭先に寝袋に包まって寝て、石をつめたリュックを背負って出勤します。そして休みと有給をすべて使って山、それも冬山に挑戦していくのです。
登山を紹介してくれた外山でさえ、そのストイックな姿勢には違和感を覚えるほどだったので、加藤の登山はいつもたった一人でした。
ある日加藤の登山記録を見た外山は愕然とします。通常考えられないルート、工程で加藤は登っていたのです。資金がないためたびたび登山に出かけられず、勤め人であったため日程も限られていた加藤にとって、一度の登山でできるだけ経験をつむために必要だったからこその非常識なルートと日程だったのですが、脅威の登山は、一人きりであっ為、誰にもわからなかっただけだったのです。
そんな加藤を外山は登山仲間に紹介し、単独行の加藤文太郎としてだんだん有名になっていったのです。
単独行の加藤文太郎。
加藤は単独行をあえて望んでいたわけではなく、ヒマラヤに向けてストイックに自分のレベルを上げたかっただけだったのですが、うわさはひとりでに広がり、一部では変人扱いまでされるようになります。
厳しい冬山では、山小屋でのひと時がほんの一瞬の憩いの場ですが、そんな場所でも加藤は他のパーティたちに敬遠されるようになったのです。
実はこの頃(昭和初期)の日本における登山というものは、お金持ちの贅沢なスポーツと考えられていて、浜坂の猟師の四男で高等小学校しか出ていない製図師の加藤は、それだけで異端も異端だったのです。
一方会社でも、けちの加藤として有名になっていました。同僚の誘いにも一切付き合わず、山と貯金だけが生きがいだと揶揄されたのです。
一時は捨て鉢にさえなった加藤ですが、外山の優しさが加藤を持ちこたえさせ、そしてだんだんと仕事でも実績を出し始めます。
やがて加藤は見合い結婚をします。はじめは登山が出来なくなることや、ヒマラヤ貯金があまり出来なくなることで嫌がっていた加藤ですが、花子というお嫁さんと生活するうち、加藤は本当の幸せを感じます。初めて山より大切なもの。そして誰よりも自分を愛してくれる人。
ヒマラヤよりも大切なもの。
そんな加藤に失恋をした友人が冬山登山に誘います。実は加藤にとって初めて誘われた登山、単独行ではない本格的登山なのです。
花子のこともあり渋っていた加藤ですが、しぶしぶその話を受けます。
この生涯最初で最後の単独行でない登山において、日本有数の登山家加藤文太郎は、冬の槍ヶ岳北鎌尾根で命を落としたのです。結婚して一年目のことでした。
初めてこの本を読んだのは十八歳のときです。その後何回も読んでいます。(またこれか)
私は登山をやりませんが、この本には大変な影響を受けています。目立たないけれど真摯に仕事や、目の前のことに打ち込む人間が少々態度に問題があろうが、大好きなのはこの本のせいかもしれません。
皆様是非読んでみてください。
Posted by 金丸 : Comment(4) | 2007.4.11.
とうとうこの日がやってきました。新幹線の禁煙車両です。
3月半ばからJR東日本は、全車両禁煙になったのです。
そして私は今、新潟で講演をするために向かう新幹線の中です。
それにしても、全車両禁煙にするためにホームに喫煙所を設置するとか聞いていたのに、なんにも増えていないし・・・・・
ぎゅうぎゅうづめの喫煙所は、喫煙者をさらし者にしたいのか、透明な壁の中で中年の男どもが飢えた動物に見えます。
こういう姿をタバコを吸わない人が見ると、「やっぱりタバコをすう人は野蛮ね」と思うのでしょう。
私も思いましたが。
この4月1日から当社でも安全衛生委員会の方針で食堂での喫煙が禁止されたくらいですから、この流れは加速するんでしょうね。
あーあ・・・・・・・・
(JTは海外のタバコメーカーなんか買収するより、JRの株を買い占めろ)
と、心の中でほんのちょっとだけ叫びました。
おしまい。
Posted by 金丸 : Comment(0) | 2007.4.10.
経済産業省は23日、東芝子会社の照明器具メーカー東芝ライテックが、下請け13業者に計3500万円の値引きを強要していたとして、下請代金支払遅延防止法(下請法)に基づき、公正取引委員会に処置を請求した。公取委は事実関係を調べ、値引き分の返済や再発防止策の策定を同社の勧告する。「成長力低下」を掲げる政府として、下請けいじめの取り締まり強化をアピールする狙いがあり、大企業は取引の見直しを迫られそうだ。
コメントなし。(だから言ったでしょ)
Posted by 金丸 : Comment(1) | 2007.3.24.
石田禮助の生涯
私は20年前までの城山三郎氏の本は、すべて読んでいると思います。
彼はビジネス小説の第一人者で、(現在の第一人者は高杉良さんでしょう)、たくさんの名作を残していますし、テレビなどでドラマ化されている作品もたくさんあります。
若い頃、零細企業に勤めた私にとって最大の悩みは、社会に触れられないということでした。朝から晩まで工場の中で油にまみれて仕事をしていましたし、休みもあまりありません。たまに誰かと飲む機会といえば、商工会工業部主催の何とか勉強会と称する飲み会。飲み会のあとはスナック。そこにいるのは古い機械となったおば様たち。いつも同じメンバー、いつも同じ店。
「若い頃はそんな風に世の中に挑戦するみたいなことを言っても、人間ってものはだんだん年を取るたびに世の中がわかってくるんだよ。俺だって若い頃は君みたいに挑戦する気持ちだったんだよ。まあ今にわかるよ。」
(そんなのわかりたくありません。)とは思ったのですが、仕事は納期に追われ、勉強どころか住んでる街を出ることさえ稀な生活をしていました。
そんな忙しい生活の中で私はだんだんあせってきました。(このままではどんどん世の中から遅れてしまう。)そしてその対策として選んだのが「経済小説」だったのです。
勉強、勉強だらけの本なんか読むのはつらいし、面白いだけの小説を読んでもこのあせりは消えない。経済小説ならその両方がカバーできると考えた20代前半の私は、とにかく読みまくりました。城山三郎氏以外にも、落合信彦、清水一行、柳田邦夫、ジェフリー・アーチャーなどです。
夜中にうちに帰ってから焼酎を飲み、吐きながら本を読む現在の読書スタイルは、この頃完成したようです(笑)
さてそんな中今回ご紹介するのは、「粗にして野だが卑ではない」という第5代国鉄総裁石田禮助(れいすけ)さんを描いた小説です。
淡々とした文章で、あまり感情が入らないスタイルは、前回紹介した「日はまた昇る」と共通するようですが、この小説の場合は主人公のキャラがものすごくたっていることが作者にそうさせたように思います。
一橋大学を卒業して、三井物産に入った石田は、海外の支店長を歴任して最後は代表取締役にまで上り詰めます。そこですっぱり仕事をやめ神奈川県の国府津というところで農業をしながら、生活をしています。
三井物産時代にはその笑顔を見たことがない、という部下がたくさんいるほど厳しい人でしたが、正直でうそをつかないその性格や、生活ぶりのせいでみんなから慕われる存在でした。
その石田が70歳を過ぎて、財界人の誰もが嫌がった国鉄総裁を引き受けます。政治家にたかられ、日本最大の労働組合を抱え、それでいて経営のほとんどを法律で縛られていた当時の国鉄総裁は、ただ袋叩きに会うポストでしかなく、財界では誰も引き受け手がなかったのです。
石田は生涯の最後は「パブリック・サービス」(社会貢献)をしたいとかねがね思っていて、その職を引き受けますが、かといって自分の信念を曲げることはありませんでした。小説の題名にもなった、「粗にして野だが卑ではない」という言葉がそれを表しています。
国鉄総裁として初登院をした石田は、背筋をピンと伸ばし、代議士たちを見下すようにして、「諸君」と呼びかけ、彼らの度肝を抜いた。
石田は別に奇をてらってそうしたわけではない。
さらに、「嘘は絶対につきませんが、知らぬことは知らぬと言うから、どうかご勘弁を」と切り出し、「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきで出来ない。無理に使うと、マンキー(野猿)が袴を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあれば、よろしくお許し願いたい。」と断った上で、
「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」と言い放った。
現在の日本を作り上げた、先人たちの生き様を、みなさん是非参考にしてください。
Posted by 金丸 : Comment(4) | 2007.2.4.
たびたびこのブログに登場する増上寺君や、WEBマスターの歯ブラシ君から、昨年から言われていたことがあります。
「今まで読んだ本の中で社長の“お勧め本”を紹介してください」
いやそれは意外と恥ずかしいもので、躊躇していましたがやってみようと思い立ちました。(他のことが思い立たないまま、パソコンの前に10分座っていたからとも言う)
それで「日はまた昇る」なのです。
日はまた昇る アーネスト ヘミングウェイ Ernest Hemingway 高見 浩 新潮社 2003-06 by G-Tools |
尚この本がいい本であるかどうかは、私の文学的才能で評価なんか出来ません。ただ一番最初に紹介しようと思った理由はあります。それは一番繰り返し読んだ本であるということです。実はもう10回くらい読んでるんじゃないでしょうか。なぜ読むのかって?なぜだかわかりません。でも時々読むんです。
物語の内容はこうです。
主人公のジェイクはパリで新聞社の特派員として働いています。主な登場人物は友達の作家ロバート・コーンとその妻。貴族と結婚しながら奔放な生活を続けるブレッド。
まるで大人の遊びのような恋愛をしたり、馬鹿騒ぎをしたりする仲間を広げながら、何も結果が出ない日々を送っています。
ジェイクはかつて第一次世界大戦で重傷を負い、そのとき看病してくれた看護婦がブレッドです。
彼はブレッドに好意を抱いていて、ブレッドもジェイクが好きなのですが、ジェイクはその負傷のせいで性的に不能であり、二人の恋愛は決して形にならないとお互いにわかっています。
そんな仲間たちがスペインの闘牛を見に行き、魚釣りをしたり、踊ったり、酒を飲んだり、さらに自堕落な日々を送っていくという物語です。
ヘミングウェイという作家は、クールなリアリズムを短い文章で表現するのが特徴で、日本で言えば片岡義男のような、そこにある現象を忠実に表現することによって(思いなどほぼ取っ払って)、淡々と描写していく小説を多く残しました。
物語全体にはなんというか、憂鬱感というのでしょうか、閉塞感というのでしょうか?そんな空気が流れ続けているのですが、その内容は非常に激しいものがあります。
ブレッドはジェイクの好意も自分の気持ちもわかっているのに、年を取った貴族と結婚したり、ジェイクの友達と浮気をしたり、果ては好きになった闘牛士との橋渡しまでジェイクに頼みます。ジェイクはその次々と繰り出される残酷な仕打ちに、耐えるでもなく淡々と答えていきます。
そして、その恋が終わるとまたブレッドはジェイクのところに戻ってくるのです。まるで「あなたとは恋愛は出来ないけれど、あなたしか愛せない」
初めて読んだのは確か高校生でした。
ブレッドの残酷な仕打ちに胸が張り裂けそうでした。いや自分だったら殺してやりたいと思うほどでした。次に読んだのは大学生の頃で、私がものすごくへこんでいた頃でした。なんだかその自堕落な物語を読むことで安心したような変な気分になったのを覚えています。「俺も年を取ったな」みたいな気分だったような気がします。
しばらくたって30代になり、父親にもなって経験をつんでから初めて冷静に読むことが出来るようになりました。そしてそれから何かの節目に必ず読むようになったのです。なぜかって?心地よいのです。
最近日本では、バブル崩壊直後の1992年から不良債権処理のめどがつく2002年までの間に社会に出た、25歳から35歳までの世代を「ロストジェネレーション」と呼んでいますが、まさにヘミングウェイがアメリカの文壇に衝撃を与え、時代の寵児となり、その後の現代アメリカ文学の礎とも言われるようになったきっかけがこの小説であり、この小説のテーマこそがロストジェネレーションではないかと私は思います。
ロストジェネレーションを「失われた世代」などと訳したりしているのを見かけますが、なんだかちょっと違う表現だと思うのは、この小説のせいかもしれません。
日本では世界戦争といえば第二次世界大戦のことだと考えられていますが、ヨーロッパでは第一次世界大戦の方が、時代に対する影響が大きいという記事を読んだことがあります。
それまでのヨーロッパにおける、価値観を粉々にしたのが第一次世界大戦だったのです。ヨーロッパ域内での戦争は、それまでバランスを取っていた民族や国の関係を、ドラスチックな力の関係に変貌させます。最後はナチスのよるホロコーストにまで進んでいくのですが、そのきっかけはすべて第一次世界大戦に始まっています。
それまでの価値が崩壊した時代。新しい時代に合わせて、新しい人生プランを早く作りたい若者たち。だけども若者とはいえ、以前の時代に培った経験や引きずっているものがある。
「もうついていけないよ」と開き直るには若すぎる。
「俺たちの時代だ」と喜ぶには年を取っている。
そんな苦しい世代。それがヘミングウェイが表現したかった「ロストジェネレーション」なのではないでしょうか?
*ちなみにヘミングウェイの他の作品は一切読んでいません。私にとってのヘミングウェイは「日はまた昇る」のみなのです。「老人と海」などの名作の話をしたい人はもっと立派な人の所へ行ってください(笑)
Posted by 金丸 : Comment(3) | 2007.1.10.