社長ブログ

皆様しばらくご無沙汰していました。申し訳ありません。
突然ですが明日5月15日は東京の千駄ヶ谷にて、一年で一番勉強をする@dreamユーザー会が開催されます。(こんな間近になって紹介してすいません)
今回からユーザー会は勉強会。@dreamDAYはインターネット不動産という市場での最大のイベントと位置づけ、とにかく勉強してもらうことを主体と考えています。
そのために分科会方式での開催を3時間行い、それぞれに講師として先輩ユーザーに担当してもらった上、ディスカッションを行う時間も一時間設けました。
皆さんで激論を交わしたあと、知る人ぞ知る天才マーケッター石原明氏(当社顧問)に一年ぶりに講演をしてもらったあと、私も話をする予定です(ちょっとね)
今回のような分科会方式のイベントは、FCでの勉強会などでは散見されますが、我々のような同じソフトを使っている仲間同士で行うことは初めてだと思います。(さてどうなるでしょう)
我々システム提供者と、システムを利用している不動産会社の間には、上下の関係はまったくありません。お互いに切磋琢磨する関係です。
ところがそんな関係でありながら、実際には切磋琢磨する機会が限られているのが現状です。
初めてのことなので、どんなことになるのか、何が飛び出すのか、我々にもわかりませんが、今日本のインターネット不動産の先陣を切っている会社が多数集まることだけは間違いありません。
まだ知らなかった(早くブログで書けばよかったのにという批判もあるでしょう。ごめんなさい)、参加しようか迷っていた方、是非ご参加ください。
得どうかはわかりませんが、行動すれば次の現実。行動しなければ何も起こりません。お待ちしております。


Posted by 金丸 : Comment(1) | 2007.5.13.

先日当社の顧問を訪ねて早稲田大学にいってきました。
(残念ながら、私は早稲田大学の出身ではありませんが)
大隈記念館という、雲の上のような人ばかりの居室があるところでしばらくお話をさせていただいたあと、食事をして銀座に出て解散。
いつも顧問と話をすると、びっくりするような話をたくさん聞くのですが、今回は意外な事実(私にとってはですが)を聞かされました。
早稲田大学はご存知の通り、大隈重信が創立した大学ですが、その創立の際には、既に創立されていた慶応大学の福沢諭吉にずいぶんと助けられたこと。
そして確かに早稲田大学の父として大隈重信はたたえられているけれども、大学にはもう一人重要な人物として小野梓という方がいたこと。小野梓は創立の母と言われていることを知りました。
*大隈記念館と同じく、小野記念館もある
小野梓さんの実績は他で調べてもらうとして、私が意外だったのが、その出身が高知県宿毛(すくも)というところで、この地から何人もの歴史上の重要人物が出ていて、あの吉田茂もここの出身。吉田茂が首相だったときの衆院の議長は、吉田の生家のはす向かいに住んでいたそうです。
創立の母である小野梓の功績は、現在の早稲田大学でも十分認識されていて、今でも土佐(なぜかみんな高知でなく、土佐というんです)に対しての、資金的、文化的援助を欠かせていないそうです。
やっぱり母の思い出は忘れられないものなんですね。


Posted by 金丸 : Comment(0) | 2007.4.19.

今日は株式会社 三景古田社長の講演会に来ています。
古田社長は企業再生のプロで、DELLやUCC上島コーヒー、フェニックスキャピタルなどでたくさんの実績を積み、現在三景(4500名)の社長として活躍されている方です。
講演前にひょんなことから少しの時間お話させていただきましたが、リーダーに求められる条件は「やりきる」ことに尽きるとおっしゃっていました。
人間とは本来弱いもので、決意があってもその原因が取り除かれたとき、どうしても中途半端な結論に落ち着かせてしまうものだと。
たとえば、業績が悪くなり社内にも、社外にも危機感が充満して3000名のリストラ計画を発表した大企業があります。
1000人、2000人とリストラが行われていった、たいていちょうどその頃に景気が回復したり、業績が若干回復したりするものです。すると社内や社外でこんな声が聞こえてきます。
「業績も明るさが見えてきたことだし、そんなリストラなんてそろそろいいんじゃない。社内も忙しくなってどっちかといえば人手不足ぎみじゃない。そこでまだ1000人も減らしたら、それこそせっかく持ち直した業績がどうなっちゃうかわからないよ」
そして2000人をリストラしたところで、計画中止となります。
しかしそういう企業は、業績は回復したとしても、ほんのちょっと良くなるだけで、うだつの上がらない業績を続けていくんだそうです。そしてまた経営危機がやってきます。
「本当に良くなる企業は、つらくても、批判されても決めたことをやりきる企業です。」


Posted by 金丸 : Comment(0) | 2007.4.13.

新田 次郎 / 新潮社(1973/02)

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久しぶりにお勧めの本を紹介します。
兵庫県浜坂出身で若いエンジニアだった加藤文太郎は、上司であった外山の影響を受けて登山を始め、地元の六甲山脈を一人歩き続けるうち、登山に魅せられていきます。
資金もなく、装備もない加藤は、暗中模索の中いくつかの経験をつみ、山にますますのめりこんでいきました。そんな彼が最終的にたどりついた目標がヒマラヤ登山。しかし彼の財力や経験ではとても挑戦することはできません。
そこで彼は冬山の経験をつむことと、日々の生活を極限まで質素にして、ヒマラヤ貯金を始めます。
毎日毎日、下宿の庭先に寝袋に包まって寝て、石をつめたリュックを背負って出勤します。そして休みと有給をすべて使って山、それも冬山に挑戦していくのです。
登山を紹介してくれた外山でさえ、そのストイックな姿勢には違和感を覚えるほどだったので、加藤の登山はいつもたった一人でした。
ある日加藤の登山記録を見た外山は愕然とします。通常考えられないルート、工程で加藤は登っていたのです。資金がないためたびたび登山に出かけられず、勤め人であったため日程も限られていた加藤にとって、一度の登山でできるだけ経験をつむために必要だったからこその非常識なルートと日程だったのですが、脅威の登山は、一人きりであっ為、誰にもわからなかっただけだったのです。
そんな加藤を外山は登山仲間に紹介し、単独行の加藤文太郎としてだんだん有名になっていったのです。
単独行の加藤文太郎。
加藤は単独行をあえて望んでいたわけではなく、ヒマラヤに向けてストイックに自分のレベルを上げたかっただけだったのですが、うわさはひとりでに広がり、一部では変人扱いまでされるようになります。
厳しい冬山では、山小屋でのひと時がほんの一瞬の憩いの場ですが、そんな場所でも加藤は他のパーティたちに敬遠されるようになったのです。
実はこの頃(昭和初期)の日本における登山というものは、お金持ちの贅沢なスポーツと考えられていて、浜坂の猟師の四男で高等小学校しか出ていない製図師の加藤は、それだけで異端も異端だったのです。
一方会社でも、けちの加藤として有名になっていました。同僚の誘いにも一切付き合わず、山と貯金だけが生きがいだと揶揄されたのです。
一時は捨て鉢にさえなった加藤ですが、外山の優しさが加藤を持ちこたえさせ、そしてだんだんと仕事でも実績を出し始めます。
やがて加藤は見合い結婚をします。はじめは登山が出来なくなることや、ヒマラヤ貯金があまり出来なくなることで嫌がっていた加藤ですが、花子というお嫁さんと生活するうち、加藤は本当の幸せを感じます。初めて山より大切なもの。そして誰よりも自分を愛してくれる人。
ヒマラヤよりも大切なもの。
そんな加藤に失恋をした友人が冬山登山に誘います。実は加藤にとって初めて誘われた登山、単独行ではない本格的登山なのです。
花子のこともあり渋っていた加藤ですが、しぶしぶその話を受けます。
この生涯最初で最後の単独行でない登山において、日本有数の登山家加藤文太郎は、冬の槍ヶ岳北鎌尾根で命を落としたのです。結婚して一年目のことでした。
初めてこの本を読んだのは十八歳のときです。その後何回も読んでいます。(またこれか)
私は登山をやりませんが、この本には大変な影響を受けています。目立たないけれど真摯に仕事や、目の前のことに打ち込む人間が少々態度に問題があろうが、大好きなのはこの本のせいかもしれません。
皆様是非読んでみてください。


Posted by 金丸 : Comment(4) | 2007.4.11.

とうとうこの日がやってきました。新幹線の禁煙車両です。
3月半ばからJR東日本は、全車両禁煙になったのです。
そして私は今、新潟で講演をするために向かう新幹線の中です。
それにしても、全車両禁煙にするためにホームに喫煙所を設置するとか聞いていたのに、なんにも増えていないし・・・・・
ぎゅうぎゅうづめの喫煙所は、喫煙者をさらし者にしたいのか、透明な壁の中で中年の男どもが飢えた動物に見えます。
こういう姿をタバコを吸わない人が見ると、「やっぱりタバコをすう人は野蛮ね」と思うのでしょう。
私も思いましたが。
この4月1日から当社でも安全衛生委員会の方針で食堂での喫煙が禁止されたくらいですから、この流れは加速するんでしょうね。
あーあ・・・・・・・・
(JTは海外のタバコメーカーなんか買収するより、JRの株を買い占めろ)
と、心の中でほんのちょっとだけ叫びました。
おしまい。


Posted by 金丸 : Comment(0) | 2007.4.10.