社長ブログ

@dream2000 オブ・ザ・イヤー
■@dream2000 of the yearとは
「@dream2000 オブ・ザ・イヤー」は、日本全国のインターネット対応不動産会社の中から、今年1年、@dream2000を独自に工夫して活用されてきたユーザ様、著しく効果的な利用を体感されたユーザ様、チャレンジ精神で前向きにトライされたユーザ様など、今後のインターネット不動産の先端を担う不動産会社を選出するイベントです。



■@drean2000大賞、社長賞、特別賞について

第2回目となる今回は、来る12月21日(木)に実施される全国の@dream2000ユーザの皆様へ感謝の意を込めた大謝恩イベント「年末@dreamDAY!」の中で2006年度の「@dream2000
オブ・ザ・イヤー」を決定致します。
日時 2006年12月21日(木)
  第一部:10:00~17:00 年末@dreamDAY!
  第二部:17:00~20:00 懇親会
参加費
  第一部:無料
  第二部:10,000円/一人
コクヨホール
〒108-8710 東京都港区港南1-8-35 会場アクセス
品川駅港南口より徒歩約2分
詳細なスケジュールとお申し込み
お申し込みの際は「バックドロップを見た!」とご記入下さい。

write by 増上寺

結果発表開催報告レポート


Posted by 増上寺 : Comment(0) | 2006.12.8.

いきなりですが新しい本が出ました。
とは言っても自分で書いたんじゃありません。
「元気の出る経営塾」~がんばる中小企業~オーム社
という本に仲間の18社と供に取り上げられたということです。
このオーム社はバリバリ技術系の雑誌で日本一の歴史を誇る由緒ある月刊誌を出している出版社です。その雑誌の中で一橋大学の関満博教授(この前中国につれってってくれた先生です)が連載を持っているのですが、そのインタビュー記事をオムニバス形式に紹介した本です。
まあ、中小企業ですからあんまり目立たない縁の下の力持ちみたいな会社がほとんどなのですが、いくつかのカテゴリーに分けて紹介されています。
第一章 元気な中小企業はここが違う
第二章 ゼロからの起業、どん底からの再生
第三章 大企業から転職して親の会社を継ぐ
第四章 オンリーワンを目指す
第五章 ネットワークを活かして仕事を創出
エピローグ 新たな連立方程式を解く「喜び」
さて当社はどこに掲載されているでしょうか?(笑)
やっぱり第二章のゼロからの起業、どん底からの再生のどん底からの再生担当です。(いっつもこれですね)
ちなみに我が社の前に紹介されている「株式会社虎の穴」という秋葉原でキャラクターグッズを売って、100億円の売り上げを上げてしまった会社はゼロからの起業担当です。(吉田さんいいな)
半分くらいの会社の社長さんとは、お酒を飲んだり、旅行に行ったりしたことがあり(なるほどねー)と思うようなことが書いてありますが、直接知らない方でも参考になる話がたくさんあるはずです。
これから和歌山へ出張しますので、私も道すがら読んでみたいと思います。


Posted by 金丸 : Comment(0) | 2006.11.30.

運動会も終わり最後の調査のため、改めて深センの経済特区の企業を訪問しました。
最初に深センの治安の悪さや、建物の悪さを紹介しましたが、それは一般の街の話です。日系の企業にいくと、どこでも品質ISO(ISO19001)環境ISO(ISO14001)を取得した上で、見事に運用されていました。
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その為、社内はきれいで、整理整頓され、挨拶もきちっとしています。さらにたいていは最新の設備が設置されています。本当に、すばらしい工場ばかりでした。
中国の製品は悪かろう、安かろうと思っている皆さんは、絶対にその考えをやめたほうがいいと思います。
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確かに最初は悪かったでしょう。
開放政策を中国が取り始めた当初の進出企業は中国国内での販売は禁止されていました。つまり日系の進出企業の販売先は日本市場だったのです。
日本の市場の製品を投入するのに、悪かろうでは誰も買ってはくれません。そこで日本人が中国人従業員を指導して現在の品質体制を確立したのです
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現在の日系企業における日本人の比率は500人規模の会社で2名程度。3000人いたって4人でしかありません。あとは中国人スタッフが管理運営を行って高い品質を維持できるようになっています。
一方・・・・・・・
運動会で使った玉いれの玉をもらって帰ったのですが、道路でぽんぽんと突こうとするとボールがどこかへいってしまう・・・・・・
道路の仕上げが悪く、でこぼこだからですが、これは市場が中国国内に限った土木業界だから変わっていないだけです。
上海などでは森ビルが上海ヒルズを作ったりし始めました。日本のニューオータニのベルマンはお客様の6割は中国や台湾の人ですと言っていました。だんだんとまともな建物や、ホテルを経験した中国の人はこれから道路や建築に目覚め文句を言うようになるでしょう。そうなれば工業製品と同じようにどんどん品質が高まっていくはずです。
追われるつらさを感じるときが必ず来るはずです。
そんな時、我々はいかにして中国や台湾との競争に勝っていけばいいのでしょうか?
以下に記したのは、数年でたった一人から数千人にまで発展した金型工場に張ってある会社の目標です。もしかしたらその答えがここのあるのではないでしょうか?不動産業界にも通じることだと思いますので。参考にしてください。
中国の工場に張ってあったスローガン
1. 中国の価格
2. ドイツの品質
3. 日本のサービス

日本の本当の競争力はサービスなのです。(完)
おまけ
きれいな従業員さん
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彼女たちが日本語を勉強しているときの例文(笑)
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Posted by 金丸 : Comment(0) | 2006.11.28.

そんな女性従業員たちを励まし、楽しんでもらおうと始まったのが深セン日系企業大運動会です。
この運動会の参加者はなんと6500名。
壮大です。オリンピックみたいです。みんな練習をつんでそして必死で競技に取り組みます。(大体、中国や韓国の人たちはみんな負けず嫌いです)
運動会1
フラフープくぐり
障害物競走
1600m走
800m走
綱引き
玉いれ
総合リレー(1チーム30名)
などの競技を、およそ800名ごとの企業チームに分けて争います。
その熱気で一日はあっという間に過ぎていきました。
運動会2
運動会4
運動会3
運動会5


Posted by 金丸 : Comment(1) | 2006.11.27.

花都区の工場視察を終えたあと、今度は深センの工場の視察に入りました。
実は今回のメインイベントはこの深センにある、日系企業の運動会に参加することだったのです。
この運動会は大変有名なもので、そもそも石井さん(60歳強)という深センにおける日本企業の駆け込み寺を作り上げた方が始めたものです。
石井さんの作り上げた支援センターは、中国に進出した企業の、貿易業務、政府との交渉、人材の確保、労務関係の調整(これが本当に大変らしい)、客先の紹介、設備の斡旋などをボランティア精神で15年も行い今日に至ります。
今では日本の企業や大学からインターンも受け入れていて、現場を実際に体現させることも行っています。
大学生などは相当なカルチャーショックを受け、何人もの学生が休学してまでこの支援センターで働いているようです。それはそうです、深センの工場を今の日本の学生やエリートと呼ばれる若い社会人が体験したとしたら、相当なショックでしょう。
なぜなのか?ここでちょっと深センの経済事情をお話しましょう。
中国では長い間国営企業中心の社会主義政策を取っていましたが、トウ小平がおこなった改革開放政策により、経済は社会主義自由経済に変更されました。
しかし中国には伝統的な戸籍制度があり、これは変わっていませんでした。この戸籍制度とは生まれた場所の戸籍は基本的に変更できない。そしてそこにすまなければならないというもので、かってに住所変更ができない制度なのです。(現在も続いています)
そんな中、経済開放政策によって「特区」というものが生まれました。よく言う経済特区と呼ばれるものが全国で数十あり、そこでは従来からある戸籍制度の柔軟な運用が行われました。
深セン経済特区では、経済特区の企業に勤める者は3年間居住を認めるというものです。
現在の深センの平均賃金は月1万5000円程度ですが、それでも内地の農村地帯の10倍にもなります。さらに言えば内地にはまともな仕事もない。
そこで女性を中心にした出稼ぎ労働者が殺到します。おりしも韓国や台湾とのコスト競争の敗れかけていた日本の労働集約型企業は(人手をかけて生産をするタイプの製品を作っている会社や、ラインにたくさん人がついている会社)この施策に飛びつきます。
日本の20分の1のコストで、若くて目のいい女性がうじゃうじゃ採用できる。その上3年たてば田舎に帰らなければならないので、自動的に新人と入れ替わる。つまりコストが上がらない。
そして働く従業員たちは大喜びで働いてくれる。
こんな良い話はありません。
実際3000名ほど女性を中心に雇っている工場の責任者に話を聞くと、「11年間やってはいるが、毎月100名ほどの社員がやめ、100名ほどの社員が入ってくる。のべ何万人もやめたとは思うが、たった一人たりとも仕事がつらいといってやめたものはいない。田舎に帰ったり、病気になったりする以外でやめるものは、すべてもっと給料のいい会社が見つかった場合だ」
ただしその生活環境はとても良いとはいえません。まったく持って映画「ああ野麦峠」のようです。
ほとんどの工場が出稼ぎ労働者のための寮を持ってはいますが、一部屋に2段ベッドが4つで8人か6つで12人。自分のプライベートな空間はベッドの上だけだそうです。
そこで必死に貧乏から抜け出そうと働いているのです。
その3


Posted by 金丸 : Comment(0) | 2006.11.26.